心のこと

不登校は、悪くない

不登校は、悪くない

不登校になると、どうしても自分を責めるようになると思います。

担任の先生や親も、なんで「普通」じゃないんだ、なんでうちの子が、という疑いや憐れみの目で見てくるかもしれませんし、「普通」の生徒たちがきらきらと輝いて見え、ますます自分が惨めで消えたくなります。

でも、中学の半分と、高校時代を丸々不登校だった僕自身の実体験から言うと、別に「不登校は、悪くない」ということははっきりと言えます。

僕も、完全な不登校になる前は、授業の途中で具合が悪くなって早退したり、最初から保健室に通う保健室登校が続きました。

それでも、当時は「不登校は悪いこと」という固定観念が自分のなかにもあったので、登校する、というレールに必死にしがみつこうとしていました。しかし、そう思えば思うほど余計に、教室に行くたびに体調が悪くなり(これは自分ではコントロールできません)、手を挙げて「保健室に行きたいです」と言うと担任の先生は怪訝な表情を浮かべ、クラスメイトにも冷やかされました。

そのことが辛くて、また失敗するんじゃないか、また体調が悪くなるんじゃないか、また馬鹿にされるんじゃないか、という「予期不安」から余計に体調が悪くなる、という悪循環で袋小路でした。

その心の癖がついて、ますます学校に行けなくなって、最後は力尽きるように完全な不登校になり、しばらくは重いうつ状態に。死にたい、消えたい、と毎日のように泣いていました。

なぜ、あれほど学校に固執していたんだろう、と今は思います。

体と心が学校を拒絶しているのに、頭が「学校に行くことは正しいこと」「不登校は悪いこと」と考え、そのはざまで引き裂かれそうになっていました。

不登校や引きこもりは、心の悲鳴であり、サインでもあります(多くの場合、不安感や腹痛など体の声も発しているはずです)。

たぶん、僕はその頃、一度不登校になったら、もう二度と後戻りできない、取り返しがつかない、という強迫観念が強かったのだと思います。だから、無理をしてでもしがみつこうとして余計に悪化した。

しかし、そんなことはありません。

後から、いくらでもやり直しがききますし、学校というのも、数ある選択肢の一つにすぎません。世の中には、思っているよりもずっと色んな道があり、色んなひとがいます。

たとえ、しばらく立ち止まっていても、歩きだせるときはいつか訪れます。

むしろ、恐怖や不安に追われながら、その場で足踏みを繰り返すよりも、いっそ立ち止まってしゃがみ、空を見ていたり寝転んでしまうほうが、結果的には近道になるでしょう。

夏休みやゴールデンウィークなど、長期休みが明けるのをびくびくしながら待っている中学生や高校生も多いかもしれません。もし、どうしてもしんどかったら、「不登校」という選択をするのは、全然悪いことではないと僕は思います。

それは「不登校(登校しない)」というよりも、「休む」という違う道を歩み出す、と考えたほうがよいでしょう。

そのときは、誰かに引け目を感じて休むのではなく、自信を持って休みましょう。自信を持って、というと変かもしれませんが、今は「そういうとき」なのです。他のひとができているからと言って、誰でもできる、というわけではありません。誰一人として、同じ容量のひとはいません。

そうして3年でも、5年でも、のんびりと休みましょう。

ただ、一つだけ、休むときには、あまりゲームばかりして過ごすとか、体に悪いものばかり食べるというのはやめましょう。

食事や睡眠というのは心にもとても影響を与えますし、無理して食べようとか、無理して眠ろうと頑張らなくてもいいので、せめて悪いことをしすぎないようにすること。

あとは、ゆっくり休んで、もし何かのタイミングで、少しやってみたいな、と思えるものが見つかったら、気軽にチャレンジしてみましょう。

別に、自分は今「不登校だから」という後ろめたさを感じることはありません。

じっくり休むこと、自分のペースでじっくり好きなことをすること。それでじゅうぶんです。

休んでいるあいだにおすすめなのは、小説を読むことです。僕も、それまでは本を読む習慣がなかったのですが、引きこもりのときに読むようになりました。

こういう状態だからこそ響く言葉や主人公の心情もたくさんあります。

小説のジャンルは、今という世界から少し離れられるファンタジーなどがよいでしょう。

0