不登校・引きこもり

高齢者の親と中高年の引きこもり問題の対策

高齢者の親と中高年の引きこもり問題の対策

高齢者の親と、その子供である中高年の引きこもり問題、通称「8050問題」。

引きこもり問題の一番の難しさは、「引きこもり」というのはあくまで一つの現象であって、その原因やきっかけ、期間、環境、周囲との関係性や、外出、コミュニケーションが取れる度合いなど全てが千差万別だという点にあります。

ただ一つ言えるのは、長年の習慣となっている引きこもりのひとを、強引に外に出そうとしたり、自立を促したり、というのは、本人にとっても相当な負担がかかります。

しかし、一方で高齢者である親も、徐々に年齢を重ね、自分がもうそれほど長くはないことから余計に不安になり、不安になると言葉数も増えるので、引きこもりの息子に「このままでいいの?」と言ったニュアンスのことを伝えてしまいます。

この言葉は、引きこもり当事者のことを決定的に追い詰める結果になります。

このままでいいとは誰も思っていないし、このままでいいと気楽に思えないからこそ、いっそう頑なに外に出られなくなる、ということもあるでしょう。

自分の親が死んだあと、どうしようか、ということから目を背けても、時間だけはどんどんと過ぎていき、ますます追い詰められていくなかで、先のようなニュアンスの言葉を投げかけられると、本人には「どうしようもできない」からパニックになって感情が暴発してしまいます。

よく在宅ワークのひとが、自分も引きこもりみたいなものだ、と言いますが、僕としては、引きこもりは物理的な現象ではなく、それが自分の意思で行なっているかどうか、というのも重要な要素だと思います。

喜んで引きこもっているなら、もっと幸福な感情に満たされているでしょう。

内心では、外に出たい、親に迷惑をかけたくない、とも思いつつ、でも「どうしようもできない」という長年の歯ぎしりのような葛藤が彼らのなかで巻き起こってきた、と僕は思います。

だから、引きこもり当事者にあまり多くを(「多さ」というのはそれぞれで違います)求めるのはちょっと酷で、その要求に答えられるなら最初から答えられているわけで、むしろ、社会の側が、どんな風に受け入れるか、というほうが先なのではないでしょうか。

ノンフィクションライターの窪田順生さんが、高齢化する引きこもりの対策として、「引きこもり」の解決策は解決しないこと、という問題提起をしています。

ダイアモンドオンラインの『「安心して引きこもれる」仕組みづくりこそ、8050問題の解決策だ』という記事で、どうすれば引きこもりから脱出できるか、というのではなく、どうすれば安心して引きこもっていられるか、ということが解決策だと言います。

引きこもりは撲滅すべき悪いこと、という前提に立って引きこもりの人々と話しても事態は悪化するばかりで、むしろ、親が亡くなったあとも引きこもりが安心して引きこもれる社会づくりに方向性をシフトチェンジすること。

たとえば、以下の三つの方法を提唱します。

①役所に行かずとも、生活保護の申請などの面倒な手続きができるような制度の整備

②親が遺した不動産や資産を活用して、安心して引きこもり生活が送れるようなアドバイス

③誰とも顔を合わせずにできる在宅ワークの斡旋などなど、「引きこもり生活の支援」

社会復帰したいと思うひとには、これまでのように社会復帰を前提とした支援をする。

一方で、今までのライフスタイルを変えることができないひとたちには、不安に駆られることなく安心して引きこもれるよう支援体制を充実させる。

この窪田氏の考え方に僕も賛成です。

まず、先ほども触れたように、引きこもりというのは、別に甘えでもなければ確固たる意思で人生を謳歌しているわけでもありません。

自分では「どうしようもできない」状態にいるひとが大勢います。

彼らは今、ものすごく不安な状態にいるでしょう。親がいなくなったあと、一体自分はどうすればいいのか、と。なるべく目を逸らしたい。でも着実に時間は過ぎ、差し迫ってくる。

張り詰めた状況下で、本人自身どうすればいいかも分からないまま自立を促すような言葉を投げかけても、不安や焦燥が刺激され、一気に爆発します。

それは多くの場合、ポジティブな方向には向かわないでしょう。

それよりも、もし親がいなくなっても、最低限の暮らしは保証する、絶対に大丈夫だから、と行政の側が安心させてあげることが重要です。

生活保護も、申請や手続きが面倒なので、しっかりサポートしてあげることが大切でしょう。

甘えだ、自己責任だ、一人で死ね、といった追い詰める言葉ではおそらく好転することはないでしょう。むしろ、そういう社会では、ますます窮屈になって引きこもりは増加すると思います。

また、ものごとはそんな風に急激に改善はしません。

前提として、生活を保証すること。

その上で、家でパソコンを使ってできる在宅ワークもあります。また、これは個人的な体験談ですが、一人で何かをする、というのは、どれほど小さなことであっても、大きな経験と自信になります。

「農福連携」ももっと推進してほしい方向性です。

草なぎ剛さんが以前YouTubeの番組でゆで卵をつくりながら、「今まで料理をしたことがないひとからすれば、ゆで卵も立派な料理なんだよ」と言っていて、とても優しい言葉だな、と思いました。

安心した生活のなかで、どんなに小さなことでも積み上げることができれば、それが自信になっていきます。

自立支援とか社会参加と言うときの、自立や参加のハードルがずいぶん高いような気がします。

たとえ支援をもらいながらでも、家で、ゆで卵をつくってみたり、部屋で筋トレをしてみたり、公園を少しだけ散歩してみたり、といったことも立派な自立の一歩だと思います。

買い物をすることも立派な社会参加だと思います。

個人的には、家族なり行政が支援をしてでも、一人暮らしをしたほうがいいと思います。お風呂を入れて、お風呂を止める、ということだけでも自分が何かを成し遂げた経験になるからです。

いずれにせよ、今多くの家庭で不安や焦りによる緊張状態がピークを迎えようとしています。

まずはその緊張をゆるめ、安心して引きこめる環境づくり、制度づくりをすることが先決だと思います。「どうしようもできない」タイプの引きこもりは、安心の結果として次のステップに進めるでしょう。

0

[PR]心と体を整える特選ハーブティー